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過剰適応タイプの子どもを助長してしまう大人の特徴と、改善させるために知っておくべき大人の心構えとは。

 

こんにちは。

 

エイダーズ山崎正徳です。

 

最近ありがたいことに、このブログを教育関係の方もよく見てくれているようで、「バウンダリーの考え方が子どもへの接し方に役に立っている」といったお声を頂きました。

 

本当にありがとうございます。

 

そのようなお声を頂いたこともあり、今回は学校の先生や児童福祉の分野など、子どもを相手に支援を行う人に向けて記事を書こうと思います。

 

支援者だけでなく、お子さんがいる方にとってもとても大切な話なので、ぜひ読んでみてください。

 

※ブログ執筆者  AIDERS 代表 山﨑正徳のプロフィールは  こちら 


大人から問題として認識されづらい、「過剰適応」の問題とは。

 

私は週に一回、中学校でスクールカウンセラーの仕事をしていた時期があります。 

 

主に保護者のカウンセリングを3件くらい行い、その結果を担任や管理職の先生に報告して、合間に会議にも出席し、バタバタと一日が終わっていくという、そんな仕事です。(給食をのんびり食べる時間もないくらい忙しいのです!)

 

私が受けた相談の大半は、「不登校」です。

 

「どうやったらうちの子は学校に行けるようになるのでしょうか…」

 

「なんとかあの生徒に登校してもらいたいのですが、担任としてどんな声掛けをしたら良いでしょうか…」

   

不登校の問題は、保護者にとっても教員にとっても深刻です。

 

一方で、カウンセラーとして日ごろ多くの相談を受ける私の立場からすると、不登校のように目に見えてわかりやすい問題だけでなく、大人が「問題として認識しない子どもの行動」もまた、とても心配に感じています。

 

それは、いわゆる「優等生」「とても協調性がある」と大人に映る子どもに見られやすい、ひとつの行動パターン。

 

「過剰適応」の問題です。

 

過剰適応とは

 

その場の環境、その時の人間関係に合わせて、

 

その場にふさわしいと感じる振る舞いを過剰にとる、行動のパターンです。

 

自分が「どうしたいか」よりも、常に「どうすべきか」を考える。

 

先生や大人、友達の顔色を伺い、相手が喜びそうな行動をとる。

 

例え自分が望まないことでも、相手との人間関係を円滑に保つことを常に優先する。

 

このような行動が習慣になっていることに加えて、習慣になってしまったがゆえに、「どうすべきかはわかるけれど、自分が本当はどうしたいのか」がよくわからなくなることも特徴の一つです。

過剰適応の子どもは、大人の感情と欲求を満たすことが得意です。

 

先生が困っていれば、先生が喜ぶように学級委員を引き受けたり

 

先生が好むような発言をしてクラスをまとめたり

 

相手が欲していることを瞬時に読み取って行動に移すので、先生からすればクラスに一人は欲しいタイプの生徒ですよね。 


学校では、教師にとって「助かる生徒」になりやすい。

 

ここまで読んでいただいただけでも、「あ、これって私のことかも!」と思った方は少なくないと思います。

 

実際、子どもの頃から過剰適応で、大人になってもその傾向が変わらず、会社でも、友達や家族に対しても相手に合わせてばかりで疲れるという方はとても多いのです。

 

学生時代は優等生で、みんなから好かれる存在で、先生や大人からも「手のかからない子」「とてもいい子」と言われてきた。

 

でも、会社に入ってから、上司やお客さんの顔色ばかりうかがってしまい、言いたいことが言えない。

 

仕事を頼まれるとイヤな顔ひとつせずに引きうけてしまう。

 

仕事で評価を受けていないと「人としての存在価値がない」と思いこみ、どんなに体調が悪くても仕事を休むことができない。

 

このようにしてストレス過多になり、うつ病などのメンタルヘルス問題を発症し、休職、退職などに至る。

 

私は普段、このような方にカウンセリングで多く出会います。

 

つまり、過剰適応タイプの子どもは、先生たちにとっては「優等生」「なんの問題もない生徒」であっても、多くのリスクを抱えている可能性があるのです。

 

ただ、不登校などの目に見える問題が起きていない場合、教師にとっては「助かる存在」でもあるため、そのリスクに気づかれることはほとんどないという、「リスクに気づかれないリスク」を抱えています。

  

ここまでの私の話を聴くと、「確かに過剰適応は問題だ。それはよくわかったんだけど、では、教師はどのように対応すればいいのかな?」と思いますよね。

 

まさにそのとおりで、過剰適応タイプと推測できる生徒に声をかけて、「大丈夫?」「ムリするなよ」と伝えることはできても、本人もそこまで自覚がない場合も多いですから、できることは本当に限られているです。

 

では、どうしたら良いのか?

 

過剰適応タイプの子どもに、大人はどのように関わるべきなのか。

 

ここから解説していきます。


過剰適応を助長する大人は、子どもに依存する。

 

過剰適応タイプの子どもに対して、大人ができることとして、私がまず声を大にして言いたいことはひとつ。

 

「大人が依存しないこと」

 

この一言に尽きます。

 

詳しく説明していきますね。

 

過剰適応タイプの子どもは、家庭環境などの影響から、そうする必要があって過剰適応をしているケースがほとんどです。

 

例えば、親が勉強やしつけにものすごく厳しくて、子どもは親の顔色をうかがうことが日常になっているとします。

 

「お父さん、怒ってるな。早く勉強しないと」

 

「学校でイヤなことがあったんだけど、お母さんに話すとすごく心配するから、話すのはやめよう」

 

そうすると、それと同じことを学校でも行うケースが多々あります。

 

だから、先生の不安が強ければ強いほど、その生徒は先生の不安を読みとり、それに合わせた行動をとります。

 

先生がクラスのまとめ役としてその生徒に期待をかければかけるほど、望まれている役割を一生懸命に背負います。

 

「なぜかいつも先生から学級委員とか、部活の部長とか、そういうまとめ役をやらされることが多くて。私は人前に出るのは本当は好きじゃなかったんですけど…。まあ、仕方なくこなしていました」

 

大人になってから、こんなふうに学生時代を振り返る人はとても多いのです。

 

つまり、学校での教師のありようによって、過剰適応をより助長することになってしまいます。

これについては、私自身もとても苦い思い出があります。

 

私は新人の頃、依存症専門の精神科クリニックで働いていました。

 

そこでほぼ毎日のように、アルコール依存症の方のグループミーティングで司会を行うのですが、まだ新人だったこともあって自信が持てず、不安で不安で、怖くて仕方がなかったのです。

 

「今日は無事にミーティングが終わるかな」

 

「患者さんたちはちゃんと話をしてくれるかな。ミーティングが深まればいいけど、誰かいい話をしてくれないかな…」

 

 こんな強い不安でいっぱいの私を助けてくれたのは、いつも過剰適応タイプの患者さんたちでした。

 

私の不安を読みとるように、その場の空気に合わせて、場が深まるような話をしてくれるのです。

 

今振り返るととても恥ずかしいのですが、当時の私は100%、過剰適応タイプの患者さんに依存していました。 

 

いつも一番先に発言をしてもらい、ミーティングの流れを作ってもらっていたのです。

 

でも、これはこの患者さんにとっては大きなマイナスです。

 

私の役割は、その患者さんに自分の過剰適応の行動パターンに気づいてもらい、もっと楽に生きてもらうこと、そしてそれをアルコール依存症の回復につないでいくことです。

 

そのためのミーティングであり、グループでもあるのです。

 

でも、私は自分の不安からその患者さんに依存し、こちらの期待する役割を背負わせ、過剰適応を助長してしまったのです。

 

これと全く同じことが、教師と生徒との関係でも起きます。 

 

「あの子がいると、クラスがとてもまとまるから助かる」

 

「色んな役割を引き受けてくれるし、みんなの模範になる」

 

真面目な生徒を頼りにしたくなる気持ち自体は自然のことだと思いますが、それが過度になると「依存」になり、教師の不安や一方的な期待に生徒を巻き込む形になります。

 

これはとても恐ろしいことですよね。

 

だからこそ、再度言わせてください。

 

過剰適応タイプの子どもに、大人が絶対にやってはいけないこと。

 

それは、「大人が依存しないこと」です!

 

これを頭に叩きこみましょう。 

 

ちなみにこれは、学校の教員間の人間関係も大きな影響を及ぼします。

 

人間関係が悪かったり、管理職からのサポートが不足していて担任が孤立しやすい環境では、教師の不安は高まり、生徒に依存しやすくなるのです。

 

組織の問題が生徒に及ぼす影響については次の記事でも説明していますので、ぜひ読んでみてください。

徹底解説!神戸市の教員間いじめ問題。「暴力が蔓延し崩壊する職場」の人間関係の構造と特徴とは。


「子どもを正したい」という思いの強さに注意する。

 

次に気を付けてもらいたいことは、「子どもを正そうとするコミュニケーション」です。

 

過剰適応の子どもは、自己主張が苦手です。

 

自分が相手にしてほしいこと、してほしくないこと。

 

どんなことが好きで、どんな場面がイヤなのか。

 

本当に心許せる友達には話せても、他の場面ではついつい我慢をして相手に合わせてしまいます。

 

そのように自己主張ができない問題の背景には、人間関係における強い不全感や無力感がある場合が多いのです。

 

「どうせ言ったって無駄だ」

 

「私さえ我慢していればみんなが喜ぶなら、それでいいや」

 

このような気持ちが働いているがゆえに、相手に合わせるし、自分の気持ちを伝えることもしなくなります。

 

人間関係に対する無力感や不全感は、大人とのコミュニケーションにとても大きく影響されます。

 

大人が感情に任せて子どもをコントロールするようなコミュニケーションをとればとるほど、子どもは無力感や不全感、または不信感を募らせると思ってください。

 

日ごろ、中学校の先生を見ていて感じるのは、精神論を好み、大人にとっての正しさをもって子どもをコントロールしがちな人が少なくないな、ということです。

 

「それはただの逃げだ。逃げてばかりじゃだめだ」

 

「やると決めたことは最後までやらないとダメだ。やると決めたんだろ?」

 

こういうことを言ってはいけないというわけではありませんが、子どもを「正そう」という思いが強すぎると、結果としてそれがコントロールになり、子どもは「何を言っても無駄」という不全感や無力感に苛まれます。

 

その結果、家でも学校でも大人の顔色を伺って行動することになりますから、どんどん過剰適応が助長されていくのです。


「自分が絶対に正しい」という思いを捨てて、子どもに関わる。

 

「相手を正そう」という考えを持つということは、「絶対に私が正しい」と思っているわけですから、相手の気持ちに関心をもち、じっくりと話を聴くことが難しくなります。 

 

あなたの普段のコミュニケーションを振り返ってみてください。

 

▶ 相手の話を聴いている時に、次に自分が何を言おうかを常に考えている。

 

▶ 相手がまだ話し終えていないのに自分の話をかぶせる。

 

▶白黒つけることにこだわり、自分が納得するまで言葉を重ねる。

 

▶自己主張が強く、感情的になりやすい。

このような傾向がある人は、要注意です。

 

子どもだけでなく、職場や家庭、友人関係でもトラブルが起きやすくなりますから、コミュニケーションを見直しましょう。

 

ポイントは、「自分が絶対に正しい」という思いを捨てることです。

 

子どもには子どもの意見があり、子どもの価値観がある。

 

子どもにとっての正しさがある。

 

自分にとっての正しさと、子どもにとっての正しさは違う。

 

これを認めてあげないと、話を聴くことができません。

 

「やると決めたことは最後までやらないとダメだ。やると決めたんだろ?」

 

子どもにこんな言葉をかける大人が意識すべきことは、それは「正しさ」ではなく、あくまでも「その人が大切にしている道徳的な価値観」でしかないということです。

 

前に、私が面談した中学生の生徒で「本当は勉強とか学校とか、そんなのどうでもいい。学校には行きたくない。毎日ゲームやって過ごせたら楽しい」と話した子がいました。

 

私がそこで、「あー、いいね、確かにそれはいいね。夢のようだ」と言ったら、その子は驚き、ポカーンとした顔で私を見たのです。

 

私はその時点で、「この子は大人から話を聴いてもらってきてないな」と思いました。

 

きっと私にもなにか言われると思ったんでしょうね。

 

「本心を言っても大丈夫なんだな」

 

「言ってみるものだな」

 

「わかってもらえると楽になるな」

 

子どもは、こう思えることで自分の気持ちに関心が向くし、それを相手に伝えたいと思うのです。

 

この積み重ねが、無力感や不全感を払拭していくことになります。 

 

そのためにも、子どもを正そうとするコミュニケーションが多くなりがちな人は、今すぐに「自分が絶対に正しい」という思いを捨てることです。 

 

ちなみに、子どもの話を聴いているふりはいくらでもできますが、「表面的な傾聴や共感は子どもには一切通じない」ということを肝に銘じてください。

 

先ほど紹介した私と生徒とのやりとりでは、「毎日好きなことばかりできたら楽しいだろうなー」と私が本気で思って、「それはいいね、夢のようだ」と言ったから伝わったのです。

 

子どもは本当に大人のことをよく見ていますから、大人が本気かどうかなんて態度ですぐにばれます。

 

子どもを舐めてはいけません。

 

以上のことを心がけて、取り組んでみてください。

 

最後にひとつ付け加えると、「子どもの話を聴く」「気持ちに寄り添う」ということは「要求に応える」という意味ではありません。

 

先ほどの「ゲームだけやっていたい」という生徒に対して私が「それはいいね!」と声をかけたことについてですが、こういう対応をしていると一部の先生から「スクールカウンセラーは生徒を甘やかしている!」と言われることがよくあります(スクールカウンセラーあるあるです笑)。

 

これは大きな誤解ですよね。

 

「気持ちを聴いてあげること」と「要求に応える」は全く別です。

 

例えば、私は自分の小学生の子どもにも同じ言葉はかけますよ。

 

でも、「ゲームやりたいのはよくわかったけど、宿題はちゃんとやらなきゃだめだよ」と伝えます。

 

「大人にとっての正しさ」を一方的に押し付けて、子どもをコントロールするコミュニケーションをとるのか

 

子どもの気持ちをわかってあげた上で、子どもがすべきことを伝えるのか

 

この違いなのです。

 

このあたりを混同しやすい方は、以下のブログ記事を読んでみてください。

▶「子どもの気持ちに寄り添うってどういうこと?」誤解されやすい「気持ちに寄り添う」の本当の意味と、共感力を養う方法。


「ありのままの自分を受け入れてもらえた体験」は、子どもにとって生涯の財産になる。

 

「子どもの頃はずっと我慢してばかりでした。学校では勉強はできたし、運動もできて目立ってしまったので、大変で…。学級委員もよくやりました。『調子にのってる』とかクラスで言われてみんなに無視されたこともあります。でも、誰にも言えなくて、一人で耐えていました。自由な友達がうらやましい。私もそうなりたい。いつもそう思っていました」

 

「でも、中学3年の最後の一年は、違ったんです。その時の担任の先生。若い女性の先生だったんですけど、その人だけは違いました。私が進路のことで悩んでいたら『自分で行きたいところを選んでいいんだよ』『そんなに真面目に考えなくても大丈夫だから(笑)なんとかなるもんだよ!』とか、そんなことを言ってくれる大人っていなかったんですよ。みんな、私に『がんばれ』ばかりでしたから」

 

「あの一年は、私にとって本当に財産です。生まれて初めて、私の力を抜いてくれた人で、ずっと忘れられません」

 

これは、カウンセリングに来たクライエントさんが語ったことです。

 

このように、子どもの頃に「ありのままの自分を受け入れてもらえた体験」をしていると、それは生涯に渡り本人の助けになります。

 

その時の心地よさ、安心感、楽しさなど、体感したものを覚えていれば、その時の感覚を手立てに、自分らしくいられる友達やパートナー、職場などを選ぶことができるのです。

 

つまり、「私はどうすべきか」「どうあるべきか」ではなく、「どんな自分でいたいか」「どうしたいか」に意識が向くようにもなります。 

 

このブログを読んでいるあなたが学校や児童福祉の分野など、子どもを支援する立場にあるとすれば、「過剰適応を助長する大人」ではなく、「過剰適応を緩めてあげる大人」になってあげてほしいな、というのが私の願いです。

 

だからこそ、繰り返しになりますが、まず自分のことをよく理解することが大切です。

 

あなたの考えや性格的な特徴、人間関係の取り方、普段使っている言葉、感情の表し方

 

これらが、どのように子どもに影響を与えているのかを点検すると良いと思います。

 

もしそのような取り組みをしてみたいと思う方には、次のセミナーがお勧めです。

 

ストレスが減る人間関係の距離感がわかる!対人援助職のためのバウンダリー(境界線)セミナー 

教育関係者や対人援助職だけでなく、子どもへの関わり方を振り返りたいという保護者の方にもぜひお勧めです。

 

動画配信も行っていますので、ぜひお気軽にお申込みください。

 

いつでもお待ちしてます。