徹底解説!神戸市の教員間いじめ問題。「暴力が蔓延し崩壊する職場」の人間関係の構造と特徴とは。【後編】

  

神戸市の教員間いじめ問題の後編です。

 

前編を読んでいない方は、前編から先にご覧ください。

徹底解説!神戸市の教員間いじめ問題。「暴力が蔓延し崩壊する職場」の人間関係の構造と特徴とは。【前編】

 

※ブログ執筆者  AIDERS 代表 山﨑正徳のプロフィールは  こちら 


加害者4人が職場で最も強いパワーを手にした「前校長の異動」

 

さらに、加害者4人に更なる強いパワーを持たせる決定的な出来事がありました。

 

それは、2019年度に前校長が異動になり、それまで教頭だった仁王校長が昇進したことです。

 

仁王校長はいじめの事実を把握しながら、「加害者はリーダー的存在で言いづらかった」と言っています。

 

保護者説明会でも、「4人は授業力と指導力を持った先生で私も教えてもらうことが多かった」と、自分よりも東須磨小での在籍期間の長い4人をかばうような発言をしたようです。

 

これだけで十分わかると思いますが、加害者4人は前校長が抜けたことにより、学校の中で新任の仁王校長よりもパワーを持ってしまったのです。 

 

どの職場にも言えることですが、モンスター社員を長期間のさばらせるためには、モンスター社員との摩擦を避け、穏便に対応する管理職の存在が不可欠です。  

 

この学校では、前校長時代から一貫して、管理職が役割を果たしてこなかったことがわかります。

 

前校長が加害者4人に十分すぎるほどのパワーを与え、育て上げたところで異動し、結果的に4人を野に放ち無法地帯にした。

 

新任の仁王校長は、加害者4人との関係を壊さないように穏便な対応に終始して、無法地帯から目を背けた。

 

このような構造が見て取れます。  

先述した通り、学校の校長は孤独です。

 

パワハラを注意してくれる人もいなければ、昇進したばかりの校長をじっくりとサポートをする機能も十分ではありません。

 

本来はこれだけ大変な職場を新任の校長が引き継ぐわけですから、教育委員会など、周囲のサポートがあってしかるべきなのです。 

 

ただ、教育委員会との情報共有もできておらず、学校が孤立している様子がわかります。

 

つまり、神戸市では、神戸方式というパワーを手に校長が王様として君臨することもできれば、経験のない校長が部下に好き放題やらせて無法地帯にすることも簡単だったのです。

 

こうして、東須磨小学校では2019年度から、実質的には管理職不在の無法地帯と化します。


暴力が蔓延する職場で被害者に植え付けられる「圧倒的無力感」

 

このようにして無法地帯と化した職場では、加害者から被害者へのいじめがどんどんエスカレートしていくわけですが、ここでもうひとつ大切なポイントをお伝えすると、

 

当然のことですが、「いじめは加害者だけでは成立しない」ということです。

 

長期に及ぶいじめには、いじめに耐え続ける被害者が必要です。

 

梅沢富美男さんが「男だったらやり返せばいい」とテレビで言ったようですが、確かに被害者が本気で怒ってやり返すなどの行動に出ていれば、いじめが止まった可能性も十分に考えられますよね。

 

ただ、被害者の先生たちはやり返さずにただただ耐え続けた。

 

周囲の先生も、いじめを何としてでも阻止する行動をとらずに黙認した。

 

これが、いじめの本質ともいえる構造で

 

いじめを長期に成立させるには、被害者側とその周囲の人たちに、圧倒的な「無力感」が必要なのです。

 

「どうせ誰も助けてくれない」

 

「変に訴えて反撃されるくらいなら、黙って耐えるしかない」

 

「注意したいけど、自分までターゲットにされるからできない」

 

このように無力感に苛まれる被害者がいるからこそ、加害者は「安心して」行為をエスカレートすることができます。

 

この無力感は、個人差はありますけど、職場の環境次第で簡単に植え付けられてしまいます。

 

それは、被害者が「いくら訴えても誰も助けてくれない」ということを痛いほどに自覚することです。 

・前校長が被害教員に対して「おまえはいじめられていないんやな」といじめの否定を迫る発言。

 

・別の教員が前校長に「(被害教員への)からかいが度が過ぎている」と相談し、前校長は被害教員からヒアリングを行ったが、本人が「大丈夫です」と説明したとして、加害教員4人を個別に注意して済ませている。

 

・「当時教頭だった前校長がいじめの被害に遭った男性教諭にパワハラを行った」として、2017年11月と18年1月に市の相談窓口への通報があったにも関わらず、処分などはなく、今年4月には校長として別の小学校へ栄転した。

  

・被害教員が教頭に被害を訴えたが、被害を知った仁王校長は4人に口頭で注意しただけで市教委には問題行為を報告しなかった。

 

校長や教頭に訴えてもダメなら、市の窓口に訴えてもダメ。

 

加えて、神戸市は、学校を管轄する立場の教育委員会も次のような深刻な問題を抱えていました。 

 

・2016年に市立中学校の女子生徒が自殺し、イジメの内容を生徒たちから聞き取った学校の調査メモが遺族に隠されていた。教育委員会の首席指導主事が、校長に「腹をくくって下さい」と隠ぺいを主導していた。

 

・神戸市長が運動会での組み体操中止を求めるものの市教委は継続を決める。その結果、2019年は児童や生徒51人が負傷し、うち6人が骨折した。

 

学校だけでなく教育委員会までが隠蔽体質。

 

そして、「神戸方式」や「組み体操の実施」にこだわるなど、とにかく風通しが悪い印象を覚えざるを得ません。

 

このように、学校の安全を守るべき役割の人たちが一切その役割を果たさない。

 

だから、いくら訴えても無駄だと思うし、反撃しようにもそのメリットを感じられないのです。

 

近年、多くの企業がパワハラ対策に乗り出していますが、パワハラ相談窓口などをいくら設置しても、実際に労働者が被害を訴えた時に「解決のために動く機能」を持ち合わせていなければ、被害者はたちまち無力感に苛まれます。

 

実際、パワハラ相談窓口の責任者や人事部長がパワハラをする役員に何も言えず、被害者のために動くことができないなんていうことは珍しいことではありません。

 

「パワハラ相談窓口はあるけど、何の役にもたちません」

 

こんな訴えはこれまでたくさん聴いてきました。 

 

こうして、被害者は強い無力感や不全感が慢性化し、被害を受け続ける。

 

そして、加害者は行為をエスカレートさせていく。

 

組織のいじめはこのようにして定着していくのです。


怒りは強いものから弱いものに向かい、最後は児童が犠牲になる。

 

ここまで、学校という組織の中での教員間の人間関係について説明しましたが、最後に児童への影響について触れないわけにはいきません。

 

教員間に暴力が定着した学校では、児童への影響としてどのようなことが考えられるのか、説明しておきますね。

 

昨今、教員を取り巻く労働環境の過酷さが問題となっています。

 

日本の教員の勤務時間は世界一と言われるほど、先生たちは毎日朝から晩まで働いているのです。

 

生徒や保護者との関係や授業の準備、そして膨大な事務仕事など、教員はとても大きなストレスに晒されています。

 

では、このようなストレスをうまく緩和しながら働くために、最も欠かせないのは何だと思いますか?

 

これはそんなに難しくないですよね。

 

そうです。

 

「職場の上司や同僚からのサポート」です。 

 

これは働いていれば誰にでもわかると思いますが、仕事が大変であればあるほど、仲間の存在が本当に重要になりますよね。

 

ちょとした愚痴を言い合える同僚。

 

困っていたら声をかけて話を聴いてくれる上司。

 

同じ仕事をしているからこそ、相手の気持ちがわかり、苦楽を共有でき、そんな仲間の存在がモチベーションにもなります。

授業で嫌なことがあったり、保護者との関係で辛い思いをしたら、職員室でちゃんと気持ちを吐き出す。

 

そこで助けてくれる仲間がいるからこそ、気持ちを切り替えて生徒や保護者と向き合うことができるのです。

 

言うまでもないことですが、どの職場でも、人間関係は本当に大切ですよね。

 

では、東須磨小のように、職場の中でいじめがあり、職員室が常に緊張感に満ちた恐ろしい空間であったらどうでしょうか。

 

ただでさえ業務が忙しくストレス過多な状態に加えて、本来は一息つける場所であるはずの職員室が戦場となる。

 

こうなると、怒りや悲しみ、辛さ、落ち込みや不安などの負の感情が癒されることなく蓄積していく一方です。

 

こういう環境で、心を整えて、教師として日々児童と向き合うのは、本当に至難の業だと思います。

 

本来は仲間によって癒されるはずの負の感情が、仲間によって傷つけられてさらに増幅し、行き場を失う。

 

増幅した怒りや悲しみなどを慢性的に抱えた教師が多い学校は、それだけで本当に危険です。

 

なぜなら、「怒りは強いものから弱いものに向かいやすい」という特徴があるからです。

 

上司や同僚に傷つけられた人が、その怒りや悲しみのやり場に困り、さらに弱い立場の人に向けてストレスを解消しようとする。 

 

つまり、怒りは、教員にとって自分よりも弱い立場の児童に向かうリスクが高くなるのです。

 

わかりやすいのは、過剰に厳しい指導や体罰などにより、「職員室での被害者」が一転して「教室での加害者」に変わる。

 

東須磨小では被害者による児童への暴力などはなかったようですが、介護や福祉の現場などでは、同僚からいじめられているスタッフが利用者さんに暴力的な振る舞いをしてしまうなんていうことは珍しいことではありません。  

また、暴力という形ではなく、自分の「教師としての存在意義」を満たすために児童に関わることもあるでしょう。

 

これまた「人間関係の悪い介護や福祉の現場あるある」なのですが、職場の人間関係で傷つき疲弊した援助職は、利用者さんや患者さんから必要とされることで、自分の援助職としての存在意義を過剰に見出そうとする傾向があります。

 

そのため、利用者さんへの支援の目的が「自分を癒すこと」になり、サービスが過剰になったり、精神的な距離が近すぎて利用者さんを依存させてしまったりするなど、支援の質に大きな影響を及ぼすことになるのです。

 

学校に置き換えても同じことが言えます。

 

人間関係で疲弊し、教師としての存在意義を見失った人は、児童や保護者から必要とされたり、感謝されたりすることで自分を保つことができます。

 

それ自体はとても自然な心理でしょう。

 

ただ、そうなった時に危険なのが、教師として児童に関わる目的が「自分を癒すこと」になってしまうことです。

 

教員として振る舞うべきところ、児童に気に入られたくて友達のようなフレンドリーすぎる関係を築いてしまったり

 

(先ほどの暴力と重なりますが)児童に厳しい指導をして、意のままにコントロールできるような主従関係を築いて自分の存在意義を確認したり

 

これらは全く無自覚に行われることもありますが、教員としての質は低下し、結果として児童が大きな犠牲を被ることになるのです。

 

実際、東須磨小では、児童のいじめの認知件数が毎年増加しており、今年度は急増したようです。

 

これは全く持って当然のことです。

 

教師の心に余裕がなければ、児童に関心を持って関わることができませんし、話をきちんと聴いてあげることだってできません。

 

子どもは本当に大人のことをよく見ていますから、いくら「何でも相談してね」なんて言われたって、余裕のなさそうな人には絶対に相談しませんし、言いません。

 

児童も問題を抱え込みやすくなるし、余裕のない教師の何気ない言動に傷ついたり、疑心暗鬼になったりすることもあるかもしれません。

 

結果的に、児童の怒りや悲しみなどの満たされない感情がクラスに蔓延し、いじめの引き金になるのです。

 

まさに、職員室で起きていることが子どもたちに連鎖し、新たな犠牲者を生んだと言えます。

 

昨今、わいせつ、盗撮、窃盗、飲酒運転や暴力など、教員の不祥事についての報道が絶えませんが、これはすなわち、「蓄積した負の感情を扱いきれずに衝動的な行動に走る教員が増えた」ということだと感じます。

 

怒りや悲しみ、不満などの負の感情が強ければ強いほど、行動のコントロールが効かなくなります。

 

つまり、「モラルの低い教員が増えた」のは個人の問題ではなく、「現代の学校という労働環境に、教員の不祥事が発生しやすいシステムが発動している」という捉え方をすべきであると私は考えます。

  

※参考

◆「NGT48事件」から学ぶ、対人援助職の共依存がもたらす、離職・燃え尽き問題の構造と対処法 


最後に

 

ここまで、前代未聞の教員いじめの構造を説明してきましたが、ひとつひとつ説明していたらだいぶ長くなってしまいました。

 

ここまで全部お読み頂いた皆さま、本当にありがとうございます。

 

私がいつも言うことなのですが、組織のいじめやパワハラなどの問題は、個人の問題ではなく「組織のシステムの問題」です。

 

実際、パワハラやいじめが蔓延している職場には今回説明したような特徴をある程度満たす共通のパターンがあり、人をいくら替えても、同じシステムの下で延々と同じ問題が繰り返されることになります。

 

前校長、そして仁王校長、加えて加害教員4人の責任は確かに大きいです。

 

ただし、「犯人探し」をしているだけでは組織のシステムはいつまでも変わりません。

 

「個人の問題」で済ませず、「組織のシステムの問題」として捉える。

 

問題に向き合う切り口を変えない限り、組織は変わらないのです。

 

この「組織のシステム」で問題を評価するポイントをひとつお伝えしますね。

 

それは、「どうしてこれが成立するんだろう…」を口癖にすることです。

 

「ここまでの酷いいじめを長期に渡り成立させてしまったのはなぜか」

 

「加害者4人がどうしてあそこまでひどい行為を繰り返すことができたのか」

 

こう考えると、視野が一気に広がり、色んな人がこの問題を成立させていることに気づくでしょう。

支配者がいて、支配者を戒めるべき人たちが役割を果たさず、その環境の中でサバイバルを続けなければならない時

 

みんな、様々な形でサバイバルします。

 

・自分も支配者側に回ろうと、支配者にとっての優等生を演じる人 

 

・支配者の尻拭い役になり続ける人 

 

・無関心を決め込み、見てみぬふりを続ける人 

 

・ただただ無力感に苛まれ、被害に遭い続ける犠牲者 

 

・なんとか自分の使命や役割を果たすべく、抗い続ける人 

 

・強い専門性を発揮して、現場のカリスマになる人 

 

・耐えかねて組織を出ていく人(退職) 

 

他にも色んな人がいると思います。 

 

適応の仕方は人それぞれなのです。 

 

だからこそ、職場でサバイバルをしなければならないような「組織のシステム」と向き合い、環境を変えていくことが大切なのです。 

 

基本、こういうブラックな職場は支配者側がいつまでも残り、後のメンバーは離職が絶えずに入れ替わりが激しいという構造になりやすいのですが、今回は公立の学校だっただけに問題がここまで大きくなったようにも思います。 

 

教員ですから、普通のブラック企業のように「辛いからもう辞めよう」という選択が簡単にできるはずがありません。 

 

「異動までなんとか耐えよう」と考えるのが自然なことです。

 

だからこそ、それぞれが毎日必死にサバイバルをする必要があり、結果としていじめがエスカレートしていったのです。 

 

「神戸方式」の環境下でいじめに耐え続けるのは、一日一日が耐え難い苦しみだったはずで、本当に胸が痛みます。 

 

被害にあった教員だけでなく、現場で黙認せざるを得なかった先生たちの多くも「助けてあげられなかった」と自分を責めて苦しんでいるのではないでしょうか。

 

生徒や保護者も同様で、今回の問題は、関わった多くの人の心を深く傷つけたことでしょう。

 

今回のこの記事が多くの人の目にとまり、安全な職場づくりのための一助となりますように。

 

職場で傷つく人が、一人でも減りますように。

 

そんな思いでこの記事を書きました。

 

最後まで読んで頂き、本当にありがとうございます。